鳴尾競輪場(兵庫県)
1949(昭24)年〜1951(昭26)年

阪神電気鉄道が陸上競技用トラックの外側に
表面をコンクリートで固めたバンクも備わった幅員6m、周長600mの
自転車競技用トラックを建設
太平洋戦争中に川西航空機鳴尾工場の飛行場建設のため
その、自転車競技用トラックは
軍に接収され閉鎖された

戦後
小倉競輪場大阪競輪場での競輪開催が大成功したことを受け
前年、阪急西宮球場に特設した競輪バンクで開催した
西宮競輪場に次ぐ
兵庫県二番目の競輪場として走路500mの鳴尾競輪場甲子園土地企業株式会社により建設され

1949(昭24)年:
兵庫県市町競輪事務組合施行により兵庫県営の第一回鳴尾競輪が開催される
当時
競輪場双輪場
また、
競輪は「キョウリン」と呼ばれていた時代
1950(昭25)年:9月9日の11レースの審議結果に観客の一部が暴徒化した
鳴尾事件が発生
「キョウリン」も
恐輪」とか「狂輪」と揶揄されるようになった

その後「
キョウリン」から「ケイリン」と呼び改められるようになり
そして
1951(昭26)年:
鳴尾競輪場甲子園競輪場に改称する



<昭和26年・兵庫県主催・連勝式勝者投票券>



兵庫県武庫郡鳴尾村(現:西宮市)